僕は学生の頃、「ADLは大切だからとにかくしっかり評価してアプローチできるように!」と指導を受けました。しかし別の教員からは「QOLの向上を考えて。ADLの自立だけがリハではありません」とも指導を受けました。
当時の僕は
「ADLが大事なんじゃないの?QOLの向上を考えてればADLはみなくていいの?」
「ADL一つ一つの勉強にそんなに意味があるの?」
と混乱したことを覚えています。
今、実際に臨床の現場で働いてみると、『ADLの獲得は対象者のQOLの向上の為の一つの手段(一つの手段とは言え、重要度はもちろん高いですが…)』ということがよくわかります。
今回は、歴史的な背景を踏まえて、QOLとADLの関係性についてまとめてみました。この流れを知ることで、普段のリハの中でもADLの向上を目指す意味について整理しやすくなりますので、是非読んでみてください。
ADLの歴史と、医学界における生活の視点
まずはADLという概念の歴史についてみていきます。
ADLの誕生は第二次世界大戦中、1940年代にニューヨークの医師G.G.Deaverが理学療法士のM.E.Brownと共に開発し、1945年の共著で発表したのが始まりです。その後、1960年ごろまでにはADLの評価法、訓練法はほぼ確立し、多種多様な自助具も作られ、ADLの基本技術は確立していきました。
この辺りからこれまでの「生命」が絶対的であった時代から、ADLによって医学の中に「生活」の視点が導入されはじめます。そして病気を治すことだけでなく、障害を治すための「リハビリテーション医学」が学会で公認されるようになりました。
その後1970年代にかけて、ADLという概念は広がっていき、呼吸器や循環器疾患の患者にも適応されるようになったり、より重度の障害を持った人々へのアプローチも確立していきました。
1970年代は、
「命が助けるだけなんて時代遅れ!」
「どんどんADLを改善して生活できるようにしよう!」
というような時代だったんでしょう。
ADLへの批判
このようにどんどん発展していったADLですが、1970年代半ばにある思想により批判を受け、その概念について考えさせられることとなります。
その思想とは「自立生活(independent living :IL)」です。
このIL思想の中で「自立」という考えは社会的な自立を指しており、ADLが自立していなくとも社会的な役割を果たしていればそれは、「自立」であるというものでした。
これまではADLの自立があって初めて職業的、社会的自立がありうるとしていましたがそれは誤りであり、たとえADL全介助であっても職業的・社会的な役割を果たし、収入を得ている人間の方が、ADLは自立しているもののそれを行うのが精いっぱいで社会的な役割を果たすことができない人間よりも、高い自立性を獲得しているのではないかという考えが唱えられるようになりました。
当時からこのようにADL全介助でも社会的に自立している人は多く存在しており、例えば「四肢麻痺の大学教授」や「筋ジストロフィーの医師」といった人などが該当します。
このような人達は、ICFにおける「活動」は遂行できていないものの、「参加」は十分に行えている状態であり、リハビリテーションにおける「全人間的復権」にとって極めて望ましい状態であったといえます。
ただし、ここでもう一つの視点を忘れてはなりません。ここまで読んで「おや?」と思った方もいると思います。
そうです。このような考えの中には、「より重度な障害者で有益な職業的・社会的役割を果たすことができず、全介助状態の人」の自立性、尊厳性が含まれていないのです。
当然、このような人でもその人の人格の自立性は認められなければならず、「より重度な障害者で有益な職業的・社会的役割を果たすことができず、全介助状態の人」であっても人格的・精神的には自立をしているという主張がされました。
QOLという概念
このような経過の中からリハビリテーション医学の反省として生まれたのがQOL( quality of life:生活の質)という概念です。
これまでのリハビリテーションの目的は『ADLを回復させてなんぼ』であったのに対し、このころから『ADLに限らずその人にとっての生活の質を向上させること』へシフトしていくようになりました。
現在では、「介護を受けながらも自分らしい生活を送る」という考え方は当然のように広く認知されていますが、こういったQOLの考え方はこの時の
「ADLが出来なければ自立した生活ではないのか!」
「全てが全介助だと人格的自立すなわち自分らしく生きる事は否定されてしまうのか!」
といった批判から生まれた概念といえるでしょう。
まとめ
ADLという概念ができてから、QOLという考えに至るまでの流れを書いてみました。
私たちセラピストの目的は言ってしまえば全て「人がより幸せに暮らせるようになること。」つまりQOLの向上だと思います。
そしてADLを改善することは、優先順位は高いものの、そのための一つの手段にすぎません。
ADLが自立していなくても幸せに暮らす手段はたくさんありますし、逆にADLが自立したからと言って幸せに暮らせるとも限りません。
『その人にとっての幸せは何か』を考える思考プロセスこそがOTの醍醐味であり、この思考なしに作業療法は実践できません。
僕もつい『とりあえずADL』にいってしまうこともあります。しかし何も考えずにADLへ介入することは、約50年前にすでに議論され、終了した思考ということを肝に銘じて日々の臨床業務に当たって行く必要があると思います。
最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m
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